1. >
  2. >
  3. 木更津市

木更津市

木更津市の歴史

木更津という地名が付いたのは如月の津が木更津になったという説や、木足らずという言葉がなまって木更津になったなど様々な説が存在しています。
その中でも有力視されているのが君不去=きみさらずという言葉が元になっているのではないかという説です。
実際に文献として残されているのは1353年に書かれたもので、当時は木佐良津という表記がされていました。

1456年には武田信長が真里谷城を築城して上総武田氏の居城として繁栄した時期もありました。
その後上総地方を支配する人物が代わりながら時代は流れ、1590年に豊臣秀吉が小田原征伐を行った際に侵攻を受けて廃城になりました。
現在真里谷城があった場所はキャンプ場になっています。

更に時代は流れて1930年台には軍都として発展して急激に人口が増え、周辺の自治体が合併して木更津市として市制が開始されるきっかけにもなりました。
現在は東京湾アクアラインや館山自動車道など交通の便が飛躍的に良くなったことで周辺地域に移動しやすくなっています。

木更津市のキャラクター

木更津市には「きさポン」というキャラクターが存在しています。
たぬきがモチーフになっているキャラクターで、名称は木更津の小学生が考案しました。
木更津には證誠寺があり、有名な童謡の證誠寺のたぬきばやしの舞台になっていることから、木更津といえばたぬきを連想する方が多いためたぬきをモチーフにしたキャラクターが誕生しています。
きさポンのおなかには∞のマークが入っていますが、これは人と人の繋がりが無限に広がっていることを示しています。

木更津市の観光スポット

木更津のキャラクターきさポンの誕生にも関わっている證誠寺は観光スポットとしても人気があります。
證誠寺のたぬきばやしという童謡は楽しそうにお腹を叩いているたぬきの様子が描かれている印象を受けますが、證誠寺に伝わるたぬきの伝説は少し悲しい物語です。
和尚さんと何十匹ものたぬきが寺の庭で囃子合戦をしていたところ、腹鼓を打ちすぎていたたぬきのお腹が破れて死んでしまったというのです。
可哀想なたぬきを供養するために作られたとされる狸塚は現在でも證誠寺の境内に残されていますので、ぜひ観光の際には童謡と伝説の内容を考えながらご覧ください。

太田山公園は恋の森とも呼ばれ、憩いの場所として親しまれています。
恋の森と呼ばれる所以になったのはヤマトタケルとオトタチバナヒメの悲恋伝説にちなんだものです。
オトタチバナヒメが入水した海を太田山からヤマトタケルがずっと留まって眺めていたという伝説から、君不去という名前が後に木更津になったとされています。

木更津市出身の芸能人

俳優の中尾彬さんは木更津市内の高校に在学中、千葉県の美術展で入選した実力の持ち主です。
證誠寺のたぬきばやしをモチーフにしたふるさと切手をデザインしたこともあります。